こんにちは。
日本の音楽シーンに新たな歴史が刻まれたと言ってもいいくらい、米津玄師さんと宇多田ヒカルさんの初コラボ曲「JANE DOE」がリリースされました。
この豪華なお二人の初共演は、大きな話題を呼んでいますね。
「お二人の声が美しくて切なくて…」
「配信待っていました」
「JANE DOE」は劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のエンディング・テーマなので、劇場で涙された方も多かったのではと思います。
今回は、米津玄師さんと宇多田ヒカルさんがなぜ初コラボが運命的だったという理由と「JANE DOE」の歌詞の意味をみていきますね。
初コラボレーション

どうして2人のコラボが
運命的だと言えるの?
実は、米津玄師さんが中学生の頃とても好きで聴いていた宇多田ヒカルさんの曲が影響してるそうですよ。
その曲は、「FINAL DISTANCE」と「誰かの願いが叶うころ」
※この宇多田ヒカルさんの曲について米津さんは、「チェンソーマンナタリー」のインタビュー記事と「スペシャルインタビュー」の中でおっしゃっていました。
「FINAL DISTANCE」
「FINAL DISTANCE」は、2001年7月25日にリリースされた8thシングルです。
この曲には、元となった楽曲があることをご存じですか?
それは、2ndアルバム「Distance」(2001年3月発表)です。
この二つの楽曲は、同じメロディーを持っているのに、歌詞に込められた意味と感情は全く違っているという、音楽シーンの中でとても興味深い作品です。
米津玄師さんが、あるインタビュー(ナタリー)で「FINAL DISTANCE」は「Distance」をリミックスバージョンで演奏されていて…」とおっしゃっていたので、改めて聴いてみると「ほんとにそうだ」って気づかされました。
「FINAL DISTANCE」と「Distance」の歌いだし
気になるのに聞けない
引用元:Apple Music
泳ぎつかれて君まで無口になる
会いたいのに
見えない波に押されて
また少し遠くなる
全く同じフレーズ・メロディーなのに二つの楽曲は、それぞれ違う魂を持っているように感じます。
原曲の「Distance」がポップで軽快なサウンドを持つのに対して、「FINAL DISTANCE」はバラード調にセルフアレンジしたバージョンです。
同じ歌詞であっても、この時制作された想いを知ることによって、楽曲に込められたメッセージを受け止められるんだなって気がします。
そして、
どちらの曲も宇多田ヒカルさんが18歳のときに制作されたなんて…。尊敬の気持ちしかでてこないです。
まるで人生経験をたくさん積んできたような感覚に錯覚してしまうくらい、宇多田ヒカルさんは人間関係の複雑さだったり心の奥底をだったりを、見事に歌い上げています。
ぜひ、この2曲を聴かれてみてくださいね。
きっと不思議な感覚になるかもしれません(個人的な感想ですが…)
「FINAL DISTANCE」が持つ深い背景とは?
この楽曲の背景を調べていくと、曲調やリズムがとても自分の中にすっぽりはまるし、MV(紀里谷和明監督(当時の夫))から伝わってくるメッセージが自分の中で響きわたります。
附属池田小事件との関連
「FINAL DISTANCE」には、音楽的な意味を超えた特別な背景があります。
それは…2001年6月8日に発生した大阪教育大学附属池田小学校での痛ましい事件で亡くなった児童の一人、山下玲奈ちゃん(当時7歳)が宇多田ヒカルの大ファンだったこと。
楽曲制作中にわかったそうですよ。
「ソニーミュージック公式サイト」では、ご本人がつぎのようにおっしゃっていました。
『その時、山下玲奈ちゃんっていう女の子のことも知って、言葉にできないくらいのもの凄い衝撃を受けて、どんな言葉使っても安っぽく聞こえそうだけどほんとうにほんとうに悔しくて悲しくて、なにか私に出来ないかっていろいろ考えたんだけど・・・まだ創り始めたばっかりだったこの歌を彼女にdedicateしようってその場で決めたんだ』(引用元:HIKARU UTADA OFFICIAL WEBSITE)
歌詞が変更されたところは?
この痛ましい事件を受けて、一部歌詞が変更されたそうです。
・原曲「Distance」では、 「やっぱり I wanna be with you」でしたが、
「FINAL DISTANCE」では、「やっぱり I need to be with you」に変更されました。
「want」から「need」へ変更は、ただ単なる「願い」じゃなくて自分にとって「必要なんだよ」といった、より切実で深い愛情が感じられますね。
運命的な初コラボといえる理由は?
この理由にたどりつくまでに、長く引っ張ってしまってすみません。
どうしても、「FINAL DISTANCE」と「Distance」の関係性をご紹介したいなと思ってしまって。
・あまりにも深い意味が込められていた「FINAL DISTANCE」。そして、米津玄師さんが二つの楽曲を聴き比べて、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のレゼとの共通点を見出す。
楽曲制作前のイメージで、米津さんは自分が歌うべきでないと思われていた。
それで、Aメロのあたりで「宇多田さんしかいないのでは」と、方向性が決まっていくんですよね(ナタリーインタビュー参照)
・そして「JANE DOE」が誕生し、お二人の運命的な初コラボが実現したなんて…。凡人の私には想像もつかないくらいの次元で、名曲が生みだされていくんですね。
お二人の才能が混ざり合ってどのようなシナジーが生まれていくんだろうって思うと、鳥肌がたちますね。
🔶こんなにも素敵な誕生までのストーリーがあるんだって知ると、お二人のコラボは運命的と言えるのではと思います
『チェンソーマン』って? レゼ編のあらすじも。
米津玄師さんと宇多田ヒカルさんが歌う「JANE DOE」は、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のエンディング・テーマです。

『チェンソーマン』のことを
教えてください。
作者: 藤本タツキ
掲載誌: 週刊少年ジャンプ(第1部)、少年ジャンプ+(第2部)
ジャンル: ダークファンタジー、ホラーアクション
時代設定: 1990年代後半(1997年頃)
❖『チェンソーマン』は、悪魔と人間が共存する現代社会を舞台としたダークファンタジー作品です。
ちょっぴり「レゼ編」のあらすじもまとめますね。
レゼ編 あらすじ【ネタバレあり】
「普通の青春」に憧れる主人公 デンジ。そんな彼の前に、ミステリアスな少女 レゼ が現れます。
雨の夜の電話ボックスでの出会いをきっかけに、二人は夜の学校に忍び込んだり、一緒に花火をしたりと、まるで本物の恋人同士のような甘酸っぱい時間を過ごします。デンジは、今まで知らなかった「普通の幸せ」に心を躍らせ、どんどんレゼに惹かれていきました。
しかし、その出会いは偶然ではありませんでした。
というのも、彼女の正体は…ソ連から送り込まれた「爆弾の悪魔」。デンジの心臓、つまりポチタを奪おうという任務のために、彼に近づいていたのです。
正体を明かしたレゼは、その圧倒的な力で公安を壊滅状態に追い込み、デンジに襲いかかります。
でも、デンジは敵であるレゼを倒すことはできなくて…。
2人の想いは結ばれるのでしょうか?
・米津玄師さんと宇多田ヒカルさんが歌う「JANE DOE」の歌詞とデンジとレゼの関係性が、すごくリンクしています。
「JANE DOE」の歌詞から(前半)
「JANE DOE」(ジェーン・ドウ) は、英語圏(特にアメリカ)で使われる法的用語で、「身元不明の女性」「名前のわからない女性」を指します。
※個人的な感想をもとに、歌詞の意味をまとめています。「そこはちょっと違うかも」と思われるかもしれませんが、「そんな考えもあるのかな」と思っていただけると嬉しいです。
まるでこの世界で二人だけみたいだね
引用元:Apple Music「JANE DOE」
なんて少しだけ夢をみてしまっただけ

プロローグ
このフレーズは、「チェンソーマン」の主人公デンジと美しい少女レゼの運命的な出会いから、2人が親密になっていく感じが伝わってきます。
一緒に過ごす時間は、まるで夢心地。
二人だけの世界が広がっているよう。レゼにとっては、ほんのつかの間の幸せな時間だったかもしれないですね。
つま先に月明かり花束の香り
引用元:Apple Music「JANE DOE」
指に触れる指
さよなら何もかも忘れて

美しい情景に悲しみが宿る
「つま先に~」のフレーズなんですが、目を閉じて聴いていると花の感触や空気感、きっとそこでしか味わえないような香りがふわっと広がってきます。
まるで繊細で研ぎ澄まされた米津玄師さんの優しさに、自分の心が包まれているような…。
その美しい情景の中で、宇多田ヒカルさんの物悲しい歌声が重なっていく。
こんなにも贅沢な瞬間はないなあと、身震いする想いで聴いています。すごすぎます!!
ほんと、生きていて良かったと感じる瞬間とはこんなときなんでしょうね…笑
余白まで美しい…
「さよなら何もかも忘れて」
この一文だけで、レゼの気持ちが全て伝わってくるようで、言葉を失います。
レゼのデンジに対する気持ち。
辛く切ない感情が溢れていますよね。
さらに追い打ちをかけるように、宇多田ヒカルさんのため息交じりのブレスへと…。
自分でもどうご紹介していいのか分からないくらいなんですが、こんなにも無音というか余白が美しいと感じたことがないです。
ぜひこの美しい余白を感じてみてくださいね。
硝子の上を裸足のまま歩く
引用元:Apple Music「JANE DOE」
痛むごとに血が流れて落ちていく
お願いその赤い足跡を
辿って会いにきて

楽曲のキーフレーズ
米津玄師さんは、「割れて粉々になったガラスの上に裸足でそのまま立って、それに傷つけられながら歩いていく情景」が初めに思い浮かんだそうです。
想像しただけでも激痛が走りそうですが…。
このサビの部分が「チェンソーマン レゼ編」の核心になるポイントかなと思います。
レゼの置かれている立場や複雑な感情を見事に表現されていますよね。
誰かに見つけてほしいという願い
”自分の足跡をたどって見つけに来てほしい”といった表現はよくあるのですが、「血が流れてて赤く染まった足跡」をたどってきてなんて、めったにないです。
「痛みと悲しみ」に染められた「赤い足跡」は、レゼの存在そのもの。
「私は消えてしまうけど、この道しるべをたどって見つけに来てほしいという願い」も込められているのかもしれないですね。
錆びたプールに放たれていく金魚
引用元:Apple Music「JANE DOE」
靴箱の中隠した林檎
萎びた君の肌に残る傷跡
犬のように泳いだ迷子

まるで寓話のようなフレーズ
頭の中でこのセクションの情景を想像してみました。
海ではなく「錆びたプール」というのは、”その世界の中だけでしか生きられない”ということを暗示しているのかと。
そこへ「金魚」が放たれるとしたら、金魚にとっては広すぎる容量だけれど、結局はプール以外はどこへも行けない状況が想像できました。
小さな金魚鉢の世界しか知らない金魚ではなくて、プールという大きさの世界でしばらくは生きていける猶予がある金魚のような…。
つまり、レゼは自分のミッションがあるから自由の身ではないけれど、デンジと恋を楽しめるような時間と空間もあったのではと思いました。
珠玉の表現って、このようなフレーズを言うのでしょうね。
そして、次に続く「林檎」から、一つの物語を思い浮かべました。
アダムとイヴの物語
ふと、「林檎」から「アダムとイヴの物語」が連想されましたよ。
アダムとイヴの物語
・エデンの園で、神はアダムとイヴに「善悪の知識の木の実」だけは食べてはならないと命じた
・蛇(サタン)の誘惑により、イヴが禁断の果実を食べ、アダムにも与えた
・この行為により人類初の罪(原罪)が生まれ、二人は楽園を追放された
❖西洋文化では、長い間「禁断の果実」が「林檎」として描かれてきました。
「靴箱の中隠した林檎」の深い意味とは?
もし、「アダムとイヴの物語」をヒントにすると、
・JANE DOE = 身元不明の女性
・隠した林檎=隠したいレゼの秘密がある
スパイという正体を隠してレゼはデンジに近づいたけれど、デンジがあまりにも純粋な心を持っているので、恋心というか惹かれていったんでしょうね、きっと。
レゼとデンジは触れ合ってはいけない関係だけれど、レゼは「禁断の果実」を食べてしまいそうになったのかも。
あくまでも個人的な感想なので、もしかしたら的外れかもしれませんが、自分的には「アダムとイヴ」にリンクさせると「林檎」の持つ意味がすとんと落ちてきました。
あなたはどう思われますか?
「JANE DOE」の歌詞から(後半の一部)
どこにいるの(ここにいるよ)
引用元:Apple Music「JANE DOE」
何をしているの(ずっと見てるよ)
この世を間違いで満たそう
側にいてよ遊びに行こうよ
どこにいるの

最大級に悲しいフレーズ
2人がお互いを探し求めているようなフレーズ。
見つけたいけど見つからないし、一緒にずっといたいのに一緒にはいられないんだねという悲しさが伝わってきます。
レゼとデンジのように…
少し話は変わるのですが、先日可愛がっていた私のセキセイインコと最後のお別れをしました。
8年間生きていたので、長生きな方かもしれませんが、すごく悲しかったですね。
最後はかなり衰弱が激しかったのであまり動こうとしなかったけれど、最後名前を呼んであげると私のすぐそばまで寄ってきてくれました。
「どこにいるの~」の歌詞を聴いていると、その日のことを思い出して涙があふれてきます。
なので、このフレーズは私にとっても最大級に悲しいフレーズです。
まとめ
今回は、米津玄師さんと宇多田ヒカルさんがなぜ初コラボが運命的だったという理由と「JANE DOE」の歌詞の意味をまとめてみました。いかがでしたでしょうか?
音楽業界の歴史に残るような楽曲…米津玄師さんと宇多田ヒカルさんが歌う「JANE DOE」は、深い悲しみのメッセージが込められていました。
お二人が醸し出す世界観は、唯一無二だなあと改めて感じました。
ただ悲しいだけではなくて、人間が持つ純粋さや気高さも感じられる素晴らしい楽曲だと思います。ぜひ、その世界観に浸ってみてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました!

