2026年3月9日。
ずっと待っていたこの日が、いよいよ現実になりますね。14年ぶりの活動再開。。レミオロメンが、全国ツアー「Reunion Tour 2026」をスタートさせます。
冬になると、どうしても聴きたくなる名曲「粉雪」。
カラオケで、街のどこかで、ふいに口ずさんでしまう——あの力強いサビが、胸に残っている方も多いのではないでしょうか。
実はあの印象的なサビ、最初から今の形だったわけではなかったそうですよ。
当時プロデューサーだった小林武史さんの「サビを変えよう」というひと言をきっかけに、藤巻亮太さんはそこから約1週間、練りに練って“今のサビ”にたどり着いた——そんな制作秘話が語られています。
今回は、名曲「粉雪」がどのようにして生まれたのかということを深掘りします。そして再始動をお祝いして、その知られざる2つのエピソードをご紹介しますね。
追記:12月26日
ミュージックステーションにレミオロメンが出演されましたー。
「粉雪」を歌われたときの雪の演出、めちゃくちゃ良かったですよね!雰囲気が最高でした。
偶然が重なった『1リットルの涙』挿入歌「粉雪」誕生エピソード(本人談をもとにまとめています)

渋谷のレコード店で、耳に残った“言葉”
運命って、きっと大きな出来事から始まるわけじゃなくて。
ほんの些細な偶然が、静かに重なっていくものなのかもしれません。
2005年の渋谷。
ドラマ制作に携わっていた関谷正征さんが、ふらりと立ち寄ったHMVで、ある曲に足を止めた・・・そんなお話があります。
店内に流れていたのは、レミオロメンの「電話」。
「天気予報も 違うくらい 離れてしまったね」
その一節が、関谷さんの心に残ったそうです。
距離を“天気予報”で表すなんて、少し切なくて、とても詩的。
よくある別れの歌とは違う、独特の世界観がそこにあって。
「この人たち、センスがいいな」と。
そんなふうに語られていました。
”偶然”というマジック
初めから決まっていたわけじゃなくて、”たまたま”という偶然が織りなすマジック。
例えば、
もし、あの日あの時。
関谷さんが別の店に立ち寄っていたら?
もし、HMVで流れていた曲が別の曲だったら?
少しでも違っていたら、違う未来だったかもしれないですね。
その頃、「電話」をきっかけに、関谷さんは藤巻亮太さんと知り合い、少しずつ距離を縮めていったそうですよ。
音楽のこと、言葉のこと、人生のこと。
プロデューサーとアーティストという枠を超えて、信頼が育っていったと、そんなふうに語られています。
ドラマの挿入歌として誕生するまで(エピソード①)

そして2005年。
関谷さんが制作に関わることになったのが、難病と闘う少女を描いたドラマ『1リットルの涙』でした。
実話をもとにした物語で、切ない恋の描写も胸に残る作品です。
そんな作品に向き合う中で、関谷さんの頭に浮かんだのが藤巻さんだったそうですよ。
「このドラマにふさわしい曲を書いてくれるかもしれない」
関谷さんは藤巻さんに声をかけます。
ただ、脚本をすべて渡したわけではなく、渡したのは第3話分の台本だけだったというお話があります。
「全部読んでしまうと、ドラマに引っ張られすぎてしまうかもしれない。
でも藤巻くんなら、この断片から何かを感じ取ってくれるはず」
そして、お願いしたのは2つだけ。
- 錦戸亮さんと沢尻エリカさん、2人のシーンで流れるバラードにしてほしい
- セリフにはない“麻生(錦戸さん演じる役)”の心情を、歌詞でそっと支えるような曲にしてほしい
ドラマの中で麻生は、想いがあるのに、うまく言葉にできない。
その“言えない気持ち”を、音楽でやさしくすくい上げてほしい関谷さんの願いは、そんなところにあったのかもしれません。
藤巻さんは台本を読み、静かにペンを握りました。
それから数日後。関谷さんのもとにラフ音源のCDが届いたそうです。
CDには、藤巻さんの筆跡で「粉雪」と書かれていた。
”急いで書いたのかな、と思うような少し乱れた文字だった”と、関谷さんは振り返っています。
プレーヤーに入れて再生ボタンを押すと、あのギターのイントロが流れ出す。
静かに始まって、少しずつ感情がふくらんでいく、あのイントロです。
ただその時点では、歌詞はまだ仮で、ほとんど「ラララ」だったとか。
それでも関谷さんは、その段階で確信したそうです。
「これだ」
そしてこの曲は、ある”ひとこと”をきっかけに完成へと向かっていきます。
こうして「粉雪」は『1リットルの涙』の挿入歌として流れ、ドラマの放送とともに、あっという間に日本中へ広がっていきました。
渋谷のHMVで流れた「電話」。
たった一度の、偶然の出会い。
そこから生まれたご縁が、やがて、たくさんの人の胸に残る一曲につながっていったのだと思うと、運命って言葉を信じたくなりますね。
偶然の積み重ねが、ときどき、誰かにとって一生の宝物という“奇跡”になるのかもしれません。
(※本記事は、関係者が番組等で語ったエピソードを参考に、物語調で再構成しています)
P小林武史さんの”ひとこと”が生んだ奇跡とは?
実は、ドラマ『1リットルの涙』の挿入歌と決定した「粉雪」には、もう一つのエピソードがあるんですよ。
それは・・・
2005年春、山梨県・山中湖。

レミオロメンが合宿をしていたその場所で、のちに冬の定番曲として長く愛される『粉雪』は、少しずつ形になっていったそうです。
当時、藤巻亮太さんは“曲が生まれる瞬間”そのものを、どこか「実力」だけでは説明しきれないものとして捉えていた、と語られています。
最近見た風景、ふと耳に残った言葉、心の奥に溜まっていた感情——。
そうした点が、ある瞬間に一本の線でつながったとき、メロディや歌詞がふいに現れる。
だからこそ、出来上がった瞬間に「全部、俺の力だ」と言い切るよりも、むしろ「巡り合わせみたいなものがある」と感じていたのかもしれません。
『粉雪』も、きっとその延長線上にあった曲だったのでしょう。
山中湖での合宿中、藤巻さんは「寂しくて、早く帰りたい一心だった」と振り返っています。
逃げ出したい気持ちがゼロではない中でも、それでも不思議と曲が生まれてしまった…そんなところに、創作の“ほんとう”がある気がします。
運命を変える”ひとこと”とは?(エピソード②)
完成したラフ音源を持ち帰り、当時プロデューサーだった小林武史に聴いてもらうと
返ってきた言葉は、
「サビを変えよう」
思いもよらなかったけれど、核心を突くような提案でした。
名曲「粉雪」の誕生秘話

イントロからAメロ、Bメロまで、すでに曲の流れはできている。
でも、その流れの先でリスナーの心に刺さるような「サビ」がまだ足りない。
良い曲を“代表曲”に変えるのは、たいていこの最後の数十秒だと言われているそうです。
もう少し、もうちょっとと、ひねり出すのが苦しいですよね。
藤巻さんは後に、
『もしあのとき「元のサビでいこう」と突っぱねていたら、今みんなが知っているあのサビは生まれていなかったはずだ』
と振り返られていますよ。
そこから約1週間。
「どんなサビがいいんだろう」と考え続け、練り続けた末に『粉雪』は完成!
もし、あの“ひとこと”が無かったら、名曲「粉雪」は完成しなかったかもしれないんですね。
人の記憶に残るのは、凝った構造よりも、胸の奥に直接触れる一撃だったりする。今も昔も。
合宿という環境。帰りたいほどの心細さ。1週間の試行錯誤。
そして、プロデューサーの一言。
いくつもの偶然が重なって、「粉雪」が誕生へと。
本当奇跡としか言いようがないですね。
藤巻さんは、この楽曲誕生までの流れを「運だった」と言われていましたが、出来上がったものをもう一度作り直す努力があったからこそ最高の結果へとつながったと思います。
まとめ
今回は、名曲「粉雪」がどのようにして生まれたのかということを深掘りし、2つのエピソードをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
レミオロメン「粉雪」が『1リットルの涙』の挿入歌になるまでには、偶然と必然が折り重なる“2つのエピソード”がありました。
ひとつは、渋谷のレコード店で流れていた「電話」にプロデューサーが足を止め、藤巻亮太の“言葉のセンス”を見つけたこと。
もうひとつは、「粉雪」が生まれる過程で、完成したラフを持ち帰った藤巻が小林武史に聴かせたところ、返ってきたのが「サビを変えよう」という一言だったこと。
偶然の出会いと、楽曲へのまっすぐな注文。
その両方が重なったからこそ、「粉雪」はドラマのワンシーンを越えて、私たちの心に残る定番ソングになったのかもしれないですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!





