プラダを着た悪魔2を観て気づいた、ニューヨークが”美しさの聖地”である理由

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こんにちは。

2026年5月1日『プラダを着た悪魔2』を観てきました。バニラソルトとバター醤油味のポップコーン片手に大スクリーンに釘付けの約2時間でした。

メリル・ストリープとアン・ハサウェイの美しさは、『プラダを着た悪魔1』から20年たった今でも変わらないどころか、もしかして進化してる?と思うくらいすごく素敵でしたよ。

上映中は思いっきり丸くなってシートに寄りかかっていたのですが、見終わって立ち上がった瞬間にはなぜだか姿勢がめっちゃよくなっていました 笑。

なぜニューヨークが美しさの聖地であるといえるのだろう…なぜ映画の女性たちは美しいのだろう…。

そんな素朴な疑問をきっかけに、今回は映画の中に描かれる女性たちの魅力と、ニューヨークという街が放つ特別な空気について、少しずつ紐解いてみたいと思います。

目次

憧れの街

「プラダを着た悪魔2」を観ながら、なんでニューヨークという街はこんなにも人を魅了するんだろうと考えてみました。

いろんな角度からみてみますね。

パリとニューヨーク

ファッションの最先端といえば、やはり真っ先にパリコレを思い浮かべてしまう私。

そもそもファッション界には「世界4大コレクション」というものがあって、ニューヨークだけじゃなくてミラノ・パリ・ロンドンでファッションウィークが年2回行われています。

じゃあ、ニューヨークだけがファッションの聖地って言えないよねとファッションに疎い私は思ってしまいます。

パリとNYの違いってあるのかな?

どうやらパリとNYって役割が違うみたいなんですよね。少しまとめてみますね。

パリの街並み
©2026heartful life salon / AI-generated illustration

パリ=「芸術としてのファッション」

パリ・コレクションはプレタポルテ(高級既製品のこと)のファッションショーとして最も規模が大きく、4大コレクションではだだ一つオートクチュール部門があり、200以上のブランドが集まります。シャネル・ディオール、ルイ・ヴィトンなどが参加します。

オートクチュールとは「完全オーダーメイドの一点もの」のこと。つまりファッションの美術館みたいな存在で、一般人が実際に着るものというより「芸術作品」に近い世界です。

では、ニューヨークはというと…

ニューヨークの街
©2026heartful life salon / AI-generated illustration

NY=「リアルな女性のためのファッション」

ニューヨーク・コレクションは、比較的リアルクローズに近いコレクションといわれています。たとえば、カジュアルで普段着られる実用的なファッションがたくさん発表されています。

わかりやすくいうとNYのファッションは「実際に街で着られるおしゃれな服」が中心。ラルフ・ローレン、カルヴァン・クラインなど、日本人にも馴染みのあるブランドが揃っています。

ファッションの聖地はパリそれともニューヨーク?

この問いなのですが、どちらか一方に決めなくてもいいのではと思ってしまいす。

パリは、ファッションを芸術界隈にまで高める街。

オートクチュールのように、服そのものが芸術品みたいに大切にされる場所ですものね。

その一方でニューヨークはというと、ファッションを”現実の中で生きる女性たち”に結びつける街なのかなと思います。

映画の中のミランダやアンディがあんなにも洗練されて美しいのは、ニューヨークという場所がそうさせているものかもしれないですね。

ニューヨークへ行ったことないので思いっきり想像でしかないですが、たとえば朝仕事に向かうとき、誰かに見られているわけじゃないのに、自然と背筋が伸びてくるような空気が街には漂っている。その街で、自分を奮い立たせるための一着を身にまとってる女性たち。

だからニューヨークの日常には、ファッションが息づいているのかな。

ファッションの聖地がどこなのかは、人それぞれ感じ方が違うかもしれません。でも、『プラダを着た悪魔』に登場する女性たちは、どうしてあんなにも美しく見えるのか考えてみます。

美しさの秘密

架空のファッション雑誌モノクロバージョン
©2026heartful life salon / AI-generated illustration

『プラダを着た悪魔』の原作者ローレン・ワイズバーガーは、実際にVogue編集長アナ・ウィンターのアシスタントとして働いた経験を持つ人物です。公式プロフィールでも、彼女の最初の仕事がVogue編集長のアシスタントだったことが紹介されています。

>>ローレン・ワイズバーガーの紹介文を見る

Vogueってどんな雑誌?

1892年にアメリカで創刊され、現在は世界26カ国以上で版を展開する、ファッション誌の中でも最も歴史あるブランドのひとつです。
Vogueは、世界中のファッションに大きな影響を与えてきた雑誌であり、流行を紹介するだけでなく、「今、何が美しいとされているのか」を示してきたメディアです。
映画に登場するファッション誌の世界があれほど華やかで、同時に厳しく見えるのは、雑誌が単なる読み物ではなく、時代の美意識をつくる場所でもあるからなのだと思います。

ニューヨークが自分を変えてくれる?

ニューヨークで働く女性が美しく見えるのは、完璧に整っているから美しいのではないのかもしれません。
人が多く、競争があり、スピードがあり、誰もが何かを目指して動いている。
その中で、自分らしく立とうとしているので、美しく見えるのではと思います。

パリが「完成された美」を感じさせる街だとしたら、ニューヨークは「変わろうとする人の美しさ」を映し出す街。
だから映画の中の女性たちは、ただ綺麗なのではなく、どこか眩しく見えるのかもしれませんね。

この映画を観ると、特別なブランドの服を持っていなくても、少しだけ背筋を伸ばしたくなります。

明日の服を少し丁寧に選びたくなる。
いつものメイクを少し変えてみたくなる。

そして、自分の仕事や人生に対して、もう一度ちゃんと向き合ってみたくなる。

美しさとは、生まれ持ったものだけではなく、
自分をどう見せたいか、どう生きたいかを選び直す力なのかもしれません。

だから私は、『プラダを着た悪魔2』に映るミランダやアンディを見ながら、こう感じました。

ニューヨークが“美しさの聖地”に見えるのは、
そこが綺麗な服を着る場所だからではなく、
女性たちが自分の人生を、もう一度美しく編集し直していく場所だからなのかなって。

20年という時間が持つ意味

20年の時の流れが分かるようなイメージ画像
©2026heartful life salon / AI-generated illustration

『プラダを着た悪魔2』が特別に感じられる理由のひとつは、やはり前作から20年ぶりの続編であるということです。

20年と聞くと「もうそんなに時間がたったの?」「ついこないだのようにも感じるけど」など、受け止め方は人それぞれかもしれないですね。

「懐かしい」と感じるには、ちょっと長すぎる時間のような気がします。

小学生だった人は社会人になり、新入社員だった人は責任ある立場になって、結婚して家族が増えた人もいて、一口に20年といっても人の価値観や生き方が大きく変わるだけの時間ですよね。

映画の中でも2006年の大ヒット映画『ブラだを着た悪魔』で駆け出しの社会人だったアンディは、今回報道記者として活躍し、エミリーはラグジュアリーブランドの幹部として登場していました。

前作でミランダの下で必死に働いていたアンディとエミリーはもう「あの頃の新人」ではなくなっていましたが…。
それでもそれぞれが20年を生き、自分の場所を見つけ、別々の形でファッションやメディアの世界と関わり続けています。

20年という時が登場人物の生活や立場を大きく変えてしまった一方で、変わっていないものもありました。

仕事に向き合う姿勢や緊張感。

誰かに認められたいという気持ち。

自分の価値をどこで証明したらいいのだろうという葛藤。

どんなに時が過ぎても変わらないものがあるとしたら、20年というスパンはそんなに長くはないかもしれないと思ってしまいます。

どう思われますか?

”紙の雑誌”の存在価値が危ないの?

©2026 heartful life salon / AI-generated illustration

2026年に公開された『プラダを着た悪魔2』では、トップファッション誌「ランウェイ」に存続の危機が訪れます。そしてミランダのもとにアンディが特集記事のエディターとして戻ってくるというワクワク感満載の内容となっていました。

これは、単なる映画の中だけのお話ではない気がします。

現代は、雑誌や新聞だけが情報を届ける時代ではなくなりました。

SNS、動画、ブログ、インフルエンサー、AIによる記事生成。誰もでも簡単に発信できるようになった一方で、「本当に信頼できる情報とは何か」「編集された言葉に価値はあるのか」という問いが、以前よりもずっと切実になっています。

かつて『プラダを着た悪魔』の世界では、ファッション誌の編集部が流行を決め、読者はそのページをめくりながら新しい美意識に出会っていました。

けれども2026年の今は、流行は雑誌のなかだけで生まれるものではなくなってしまいました。SNSで一瞬にして拡散され、バズり、消費され、次の話題へと流れていきます。

The Guardianでも、印刷雑誌の衰退やデジタル時代の変化を背景に、ファッション界の権力構造が変わっていることを指摘されていました。

参考記事>>The Guardian

だからこそ、「ランウェイ」の存続危機という設定には、現代的な重みがあるのかなと思います。

「紙の雑誌はもう古いの?」

この問いは次の章で考えてみますね。

本当に価値があるもの

「紙の雑誌は決して古くない」って思います。

たとえば、

速く拡散されるものだけが価値があるの?
数字をとれるものだけが正しいの?
丁寧に選ばれ、編集され、美しく届けられるものにはもう意味がないの?

という疑問が出てきます.

これは紙かWebのどちらが情報を伝えるのに最適なのかってことではなくて、価値のある情報をどのように見せ、どんな言葉で届けられるかが大切なのかなと思います。

『プラダを着た悪魔2』で展開された「ランウェイ」の危機を観ていると、紙の雑誌だけの問題だけではなくてその奥にある”本物の価値”をどうやったら見極められるのだろう…という想いが伝わってきました。

最近は特に、バズるものは強いし全て本物の価値があるような気になってしまいます。でもそれが何年も心に残っているかというとそうでもなくてってことありますよね。

一瞬で消費される情報があふれる時代だからこそ、誰かが丁寧に選び、磨き、責任をもって届けるものには、価値があるのかなと思います。

ミランダが守ろうとしていたのは、もしかしたら雑誌そのものではなくて、その奥にある「美しさを編集する力」だったのかもしれません。

ただ早く書くのではなく、

ただ検索されるためだけに書くのでもなく、

自分の目で見て、感じて、言葉を選びながら届けること。

(すごく耳が痛いですが…笑)

まるで時代に逆行してるようですけど、丁寧に作られたものはきっといつまでも人の心に残り続けるのではと思ってしまいます。

まとめ

『プラダを着た悪魔2』を観ながら感じたのは、ニューヨークの美しさは、単に街並みやファッションが洗練されているから生まれるものではないということでした。

もしかすると映画に登場している女性たちは、センスのいい服を着ているから美しいのではないかもしれません。

仕事に向き合い、迷いながらも選択して、自分の立つ場所をもう一度見つめなおしている。

だからこそ、その彼女たちの姿勢や覚悟が、衣装やライティング、ニューヨークの街の空気と重なったとき、スクリーンの中で特別な輝きを放っていたのだと思います。(ほんとに美しかったですよー)

かつて絶対的な影響力を持っていた紙の雑誌も、今はデジタルやSNSの時代の中で、その存在価値を問われています。けれど、情報があふれる時代だからこそ、本当に美しいもの、本当に価値あるものを、どう選び、どう残し、どう届けていくのか。

この問いは、雑誌そのものより、私たちの生き方にもつながっているのかもしれないですね。

今できることがあるとするなら、

少しだけ背筋を伸ばし、明日の服を少し丁寧に選んで、自分のことを信じてみる。

できることからやってみようかなと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました!

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