東京生まれのオーストリア貴族、カレルギーのパン・ヨーロッパ思想とは?

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欧州連合(EU)は、現在27カ国から成る政治的・経済的連合です。EUは平和と協調を重視し、人権や民主主義、法の支配などの共通の価値観を守っています。EUは欧州市民が自由に移動や就労ができるシェンゲン圏や共通通貨ユーロなどを導入しています。EUは「欧州の歌」や「欧州の旗」なども採用しています。

しかし、EUの成立には長い歴史があります。その歴史の中で、欧州統合の理念を提唱した人物がいます。その人物は、東京生まれのオーストリア貴族、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーです。彼は「EUの父」とも称されるほど、欧州統合運動に大きな影響を与えました。

では、彼はどんな人物であり、どんな思想を持っていたのでしょうか。このブログでは、彼の生涯とパン・ヨーロッパ思想について紹介します。

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カレルギーの生い立ちや人物像とは?

カレルギー伯爵

カレルギーは、1894年に東京で生まれました。父はオーストリア=ハンガリー帝国の駐日大使だったハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵で、母は東京・牛込出身の日本人青山みつ(のちに光子になります)でした。父は多言語に堪能で、異文化に対する探求心を持っていました。母は仏教からカトリックに改宗し、日本国籍を放棄して夫に従いました。父ハインリヒが急逝した後、母光子は子どもたちの教育のために奔走されたと言われています。のちに「黒い瞳の伯爵夫人」と呼ばれた女性は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの母その人です。異国の地で生き抜くことはどれほど大変だったことかと苦労が忍ばれます。

クーデンホーフ青山光子のドラマはこちらから↓

7人兄弟の次男として育ったカレルギーは、東京とオーストリアのロンスペルク城で育ちました。彼は父から多くの影響を受け、母から日本文化を学び、彼は自分を「欧州とアジアの子」と呼び、国境を超えた視野を持っていました。

カレルギーはウィーン大学で哲学と歴史を学び、1917年に博士号を取得しました。彼は哲学者になりたかったのですが、第一次世界大戦の惨禍を目の当たりにして、ヨーロッパ統合の必要性を感じるようになりました。さらに1923年に『汎ヨーロッパ』という著書を出版し、ヨーロッパ諸国が連邦を形成するという思想を提唱しました。また翌年にパン・ヨーロッパ連合という組織を設立し、各国の政治家や文化人と交流しながら運動を推進しました。その素晴らしい功績から、彼は欧州連合の父とも呼ばれるようになりました。

東京で生まれたカレルギーは日本とも深い関係を持ち続けました。彼は1925年に日本を訪れ、母や親族と再会しました。彼はその後も何度も日本に来て、政治家や学者やジャーナリストなどと対話しました。彼は日本がアジアの平和と発展に貢献することを期待し、日本がパン・ヨーロッパ運動に参加することを望みました。彼はまた、日本文化や芸術にも関心を持ち、特に能や俳句や茶道などに親しみました。

カレルギーは1972年に亡くなりましたが、その功績は今も評価されています。彼は1967年に勲一等瑞宝章と鹿島平和賞を受賞しました。彼の故郷であるロンスペルク城は修復されて記念館となり、平和の石庭が設けられました。彼の思想は欧州連合の理念や欧州の歌などに反映されています 。

国立国家図書館の公式サイトはこちら↓

パンヨーロッパ運動とは?

ヨーロッパの地図

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが推進したパンヨーロッパ運動とは、欧州全体を一体的に捉え、統合を目指す思想や運動のことです。自国の利益にとらわれて繰り返される戦争を阻止するには、各国間で話し合いの場を持ち、関税や通貨、出入国、労働許可、福祉、防衛など多岐にわたる分野で、共通のルールを設けるという考え方です。

彼は1923年に『パン・オイローパ』を発刊して独自の欧州統合論を展開し、翌年には「パン・ヨーロッパ連合」の結成、さらに各国で「パン・ヨーロッパ協会」の設立が実現しました。彼は第一次世界大戦後の将来的な戦争と、ソ連側・米国側の分断を警告しました。彼の考えに共鳴した人たちは、各界にわたっており、トーマス・マンやアルベルト・アインシュタインなどの文化人や知識人が集まりました。

パン・ヨーロッパ運動は第二次世界大戦や冷戦の影響で一時衰退しましたが、戦後の欧州統合運動に大きな影響を与えました。1950年にフランス外相ロベール・シューマンが提唱したシューマン宣言は、クーデンホーフ=カレルギーの思想に基づいており、その後欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)や欧州経済共同体(EEC)、欧州連合(EU)へと発展していきました。前述しましたように、クーデンホーフ=カレルギーは1950年にアーヘン国際カール大帝賞や1967年に日本国勲一等瑞宝章など多くの賞を受賞しました。

現在のEUはクーデンホーフ=カレルギーが提唱したパン・ヨーロッパ思想の実現といえます。EUは27カ国から成る政治的・経済的連合であり、欧州市民が自由に移動や就労ができるシェンゲン圏や共通通貨ユーロなどを導入しています。EUは平和と協調を重視し、人権や民主主義、法の支配などの共通の価値観を守っています。EUはクーデンホーフ=カレルギーが提唱した「欧州の歌」や「欧州の旗」なども採用しています。

「欧州の歌」とは?

欧州の歌とは、欧州評議会と欧州連合がヨーロッパの象徴として採用した楽曲です。この楽曲は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番の最終楽章に使われた「歓喜の歌」をもとにしています。歓喜の歌は、フリードリヒ・シラーが1785年に書いた詩で、人類の平和と結束を讃える内容です。

欧州の歌は、1972年に欧州評議会が採択し、1985年に欧州連合(当時は欧州共同体)が採択しました。この採択は、加盟国の国歌と置き換えるものではなく、域内の多様性における統一を共有する価値観を称えるということが目的でした。欧州の歌は自由、平和、結束という統合されたヨーロッパの理想を表すものです。

欧州の歌には公式な歌詞はありませんが、シラーの詩やその翻訳がよく用いられます。また、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンがピアノ独奏、吹奏楽、交響楽にそれぞれ編曲したバージョンがあります。欧州評議会や欧州連合の公式行事や式典などで演奏されることがあります。

カレルギー伯爵の思想をわかりやすくまとめると・・・

今回のカレルギー伯爵を様々調べてみましたが、ヨーロッパのために尽力されたことがわかりました。

彼の偉大な功績は語り尽くせませんが、彼の思想をわかりやすくまとめることによって、偉人への敬意を表したいと思います。

パン・ヨーロッパ主義

欧州の国々が協力して一体化することで、戦争を防ぎ、平和と繁栄を実現するという思想。欧州連合(EU)の原型となった。

欧州のシンボル

ベートーヴェンの『歓喜の歌』を欧州の象徴として提案し、後に欧州の歌に採用された。

コスモポリタニズム

多文化的な背景を持ち、多言語に堪能だったことから、国境や民族を超えた普遍的な人間性や価値観を重視した。

エリート主義

欧州統合のためには、政治家や文化人などのエリート層が先導する必要があると考えた。一般大衆には教育や啓蒙が必要だとした。

最後に・・・

オーストリア

今回、「東京生まれのオーストリア貴族、カレルギーのパン・ヨーロッパ思想とは?」という内容をまとめてみました。

一番心に残ったことは、彼が「コスモポリタニズム」を重んじられたということです。誰しも「国境や民族を超えた普遍的な人間性や価値観」を大切にしなくてはと思っていても、時に国の威信や国家間の差異や利害関係などが前面に出てしまうことがあります。それぞれ違いがあっても、その違いは違いとして認識して尊重しあえるような世界になったらいいなと思います。

ヨーロッパは私にとって憧れの場所ですが、まだ一度も行ったことがありません。将来ヨーロッパに行った際には、ヨーロッパのの美しい街並みや自然に触れるだけでなく、賢人たちの知恵と努力が深く刻まれた歴史を感じる旅にしたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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