『射雕英雄伝』から学ぶ人生の教訓――金庸の武俠小説に隠された哲学

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もうずいぶん前のことになりますが、香港の小説家の金庸さんの本に夢中になって夜な夜な読んでいた時期があります。ストーリーの先が知りたくて、気がついたら夜が開けるってことが何回もありました。

皆さんもきっと眠れなくなるほどはまった本に出会った経験があると思います。

私がはまった本は、「射雕英雄伝」(しゃちょうえいゆうでん)です。

射雕英雄伝は、武俠小説といって、中国の歴史や伝説を背景に、武術や江湖(ぎょうこ)と呼ばれる武芸者の世界を描いた小説のジャンルのことです。

今回は、私の大好きな『射雕英雄伝』から学んだことや武侠小説に隠されている哲学などをまとめてみたいと思います。

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香港の小説家、金庸氏とはどんな人なの?

香港の自然

『射雕英雄伝』の本の内容に入る前に、金庸さんという方がどんな人物だったのかまとめてみました。

金庸さんは、1924年3月10日に中国の浙江省海寧県で生まれました。本名は査良鏞(さりょうよう)といいます。金庸という筆名は、本名の「鏞」の字を偏と旁に分けたものです。

学生時代は、外交官を目指して中央政治大学で外交を学びましたが、不正に抗議したことで退学になりました。その後、新聞記者や法律家として活動しましたが、1955年に武俠小説『書剣恩仇録』を発表して作家デビューしました。

また彼は、武俠小説の第一人者として知られています。さらに彼の作品は、壮大な歴史背景と虚実入り混じった世界観、多彩な登場人物と巧みな物語展開で、中国語圏だけでなく世界中で読まれています。映画やドラマ、漫画やゲームなどにも多くの影響を与えており、現代の中華圏の娯楽文化に欠かせない存在となっていますので、ご存知の方も多いかなと思います。

金庸さんは、作家だけでなく、政治評論家や新聞社長としても活躍しました。1959年には自ら『明報』という新聞を創刊し、『明報』は、中国の政治や社会について中立的で客観的な報道を行う新聞として評価されています。

さらに、教育や文化と言った分野にも貢献しました。1999年から2000年まで浙江大学の人文学院長を務めました。また、オックスフォード大学やカムブリッジ大学などの名誉博士号を受けました。金庸さんは、自身の武俠小説を何度も改訂しましたが、2002年に最終版を完成させました。

2018年10月30日、金庸さんは香港の養和病院で亡くなりました。94歳でした。金庸さんは、中国文学史上に残る偉大な作家として称えられています。

「射雕英雄伝」のあらすじは?

中国衣装を着た女性(武侠小説のイメージ)

この本は、全4巻あるのですが、1冊1冊がかなり分厚かったと記憶しています。日本では、トクマコミックスから漫画版が全19巻発行されています。

長編小説なので、あらすじを短くまとめるのは難しいですが、大まかにまとめると下記のようになります。

射雕英雄伝の物語は、13世紀初頭に起こった靖康の変という出来事をきっかけに、南宋と金という二つの国が対立する時代に始まります。 靖康の変とは、金が南宋の首都開封を攻め落とし、宋の皇帝や皇族を捕らえた事件です。

この事件で離散した二人の義兄弟、郭嘯天(かくしょうてん)と楊鉄心(ようてっしん)の息子たちが主人公です。郭嘯天の息子郭靖(かくせい)は、モンゴルで育ちました。楊鉄心の息子楊康(ようこう)は、金で育ちました。

18年後、二人はそれぞれ武芸を学び、中原(中国本土)に戻ってきます。そこで二人は再会しますが、敵対する国の出身であることから対立します。また、二人はそれぞれ恋に落ちますが、その相手もまた複雑な運命に翻弄されます。

射雕英雄伝は、郭靖と楊康の友情と対立、愛と憎しみ、正義と野心などを描いた壮大な物語です。また、多くの魅力的な登場人物や武功(ぶこう)と呼ばれる技や秘伝なども見どころです。

小説のあちらこちらに、本当に魅力的な舞を踊るような技が出てくるのですが、自分の目の前に映像として映し出されるような感覚に陥ります。文章から読者に明瞭に想像力を沸き立たせる技量は、素晴らしい一言に尽きると思います。

射雕英雄伝は、金庸さんの代表作であり、「射鵰三部作」と呼ばれる長編連作の第一作でもあります。この小説は、映画やドラマなどにも何度も映像化されており、中華圏だけでなく世界中で読まれていますよ。

『射雕英雄伝』から学ぶ人生の教訓とは?

中国の太極拳(武侠のイメージ図)

⭐️郭靖は、愚鈍だが義に熱い性格で、努力と気力によって武功を身につけ、モンゴルや宋の英雄となりました。

彼の物語は、才能や境遇に恵まれなくても、正義と忍耐の心を持っていれば、大きな成果を得られることを教えてくれます。

⭐️楊康は、金の王子として育てられましたが、その野心と欲望によって道を誤り、最後には郭靖と敵対し、悲惨な最期を迎えました。

彼の物語は、自分の目的や本心を忘れてしまうと、どんなに優秀でも幸せになれないことを教えてくれます。

⭐️黄蓉は、郭靖の恋人でありブレーンでした。彼女は、知恵や機転で多くの危機を乗り越えましたが、同時に自分勝手な行動や言動で周囲を困らせることもありました。

彼女の行動から、人とは頭脳や才能だけではなく、人間性や配慮も大切であることを教えてくれます。

金庸さんの武俠小説に隠された哲学とは?

金庸さんの武俠小説に隠された哲学とはなんだろうと考えると、彼の作品に表れる人生観や価値観、思想などのことなのではと思います。また彼の武俠小説は、単なる娯楽小説ではなく、豊かな教養と明確な歴史観に基づいて書かれた文学作品だと感じます。

金庸の武俠小説に隠された哲学の内容としては、以下のようなものが挙げられます。

武術と道徳の関係

金庸の作品では、武術は道徳と密接に関係しています。武術を修練することは、自分の心を磨くことでもあります。武術の高さは、人格の高さをも反映します。

例えば、『射雕英雄伝』では、郭靖は愚鈍だが義に篤い性格で、努力と奇縁によって武功を身につけますが、楊康は才能があるが野心と欲望によって道を誤ります。また、『天龍八部』では、蕭峯はモンゴル人でありながら宋人の英雄となりますが、その理由は彼の高潔な人格と正義感にあります。

民族間の平等

金庸さんの作品では、伝統的な中華思想は否定され、諸国家・民族が客観的かつ平等に描かれます。金庸は自ら「我是一個中國人,但不是一個中國主義者(私は中国人だが、中国主義者ではない)」と述べています。

例えば、『射雕英雄伝』では、モンゴル人や西夏人も宋人と同じく尊敬されるべき存在として描かれます。また、『天龍八部』では、蕭峯や段譽などの主要人物がそれぞれ異なる民族の出身でありながら友情や恋愛を育みます。

個人主義と自由

金庸さんの作品では、個人主義と自由が重視されます。 彼は自ら「我是一個個人主義者,但不是一個無政府主義者(私は個人主義者だが、無政府主義者ではない)」と述べています。

例えば、『笑傲江湖』では、令狐冲は各派の争いや束縛から離れて自由に生きようとします。 また、『鹿鼎記』では、韋小宝は皇帝でありながら江湖(ぎょうこ)に憧れて冒険を繰り返します。

もっとたくさんの哲学が隠れているかもしれませんが、わずかな部分からでも著者の人格や生き方などが垣間見えますね。

最後に・・・

やっと過ごしやすい季節になって、久しぶりに長編小説でも読んでみようかなと思ったときに、ふと思い出したのが金庸さんの『射雕英雄伝』でした。

寝るもの惜しんで、読み耽ったことが思い出されて、なんだか懐かしい気持ちになりました。

最近は、自己啓発本のようなすぐ読めるような本ばかり読んでいましたので、また少し長い小説でも読んでみたいです。

皆さんもどうぞ素敵な時間をお過ごしくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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