中村哲医師が教えてくれたこと―一隅を照らす人間のあり方

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こんにちは。今日は、2019年12月にアフガニスタンで残念ながら亡くなられた中村哲医師について書きたいと思います。中村医師は、アフガニスタンやパキスタンで長年にわたって医療や農業の支援活動を行ってきました。

彼は、「一隅を照らす」という言葉を好んで使っていましたが、それはどういう意味なのでしょうか。彼の生き方から学ぶことができる人間のあり方について考えてみたいと思います。

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中村哲医師の幼少期から青年期まで

 中村哲さんは、日本の医師で、アフガニスタンで医療活動や用水路建設などの人道支援を行っていた方です。アフガニスタンでは「カカ・ムラド」と呼ばれ、現地の人々から敬愛されていました。2019年12月に武装勢力に銃撃されて殉職されました。

中村哲医師の画像

(中村哲医師ー出典元:Wikipedia)

彼は、どのように生まれ育ってきたのでしょうか?

幼少期から青年期までをまとめてみました。

中村医師は1946年の夏、福岡市の中心部にある病院で生まれました。彼は3人兄弟の次男で、父親は銀行員、母親は専業主婦でした。彼は幼少期から自然が大好きで、昆虫採集や登山に夢中になっていました。彼は特にカブトムシやクワガタムシを集めるのが好きで、自宅の庭に小さな昆虫館を作っていました。彼はまた、父親と一緒に近くの山に登り、植物や動物を観察するのも楽しみにしていました。

彼は地元の西南学院中学校に進学したとき、目が不自由な牧師さんと出会いました。その牧師さんは、日本人初の盲目の神学博士であり、キリスト教の教えを通して「世の役に立ちたい」という思いを持っていました。彼は中村医師に聖書を読んだり、話し合ったりすることで、人間の尊厳や愛や平和といった価値観を教えてくれました。中村医師もその影響を受けて、自分も何か社会に貢献したいという気持ちが芽生えました。

彼は高校時代に理科系の科目に興味を持ち始め、特に生物学や化学が得意でした。彼は自然科学の知識を深めることで、自然や生命の不思議さや素晴らしさを感じるようになりました。彼はまた、医学雑誌や医療関係者の講演などを通して、世界各地で起こっている病気や貧困や戦争などの問題にも目を向けるようになりました。彼は自分が学んだ知識や技術を使って、苦しんでいる人たちを助けたいという思いが強くなりました。

そこで彼は九州大学医学部への進学を決めました。彼は大学で基礎医学から臨床医学まで幅広く勉強し、優秀な成績を収めました。彼はまた、医師として必要な人間性や倫理観も身につけました。彼は大学卒業後に医師免許を取得し、脳神経科の医師として国内の病院で働き始めました。

 

中村哲さんの海外活動とは?

パキスタンでの活動が長くなる中、中村医師はアフガニスタンへの関心も深めていきました。アフガニスタンはソビエト連邦やタリバンなどの侵略や内戦によって荒廃しており、医療や食料などの基本的な生活条件が整っていませんでした。中村医師は1986年からアフガニスタンへも足を運び始め、最初の診療所を開設しました。

2000年にアフガニスタンが大干ばつに見舞われたとき、中村医師は「百の診療所より一本の用水路が必要」という考えに至りました。彼は、水不足が根本的な問題であると気づき、2003年から農村復興のための水利事業を始めました。彼は自ら重機を運転して、砂漠を緑化するための用水路を掘りました。その結果、農作物が育ち、難民が帰還し、治安が改善されるなど、多くの恩恵がもたらされました。

中村医師は、アフガニスタンの人々と共に生活し、彼らの信頼を得ていきました。彼は「カカ(おじさん)」と呼ばれて親しまれました。彼はまた、日本や世界にアフガニスタンの現状を伝えるために、多くの講演やインタビューに応じました。彼は日本やアフガニスタンなどから数々の賞や勲章を受けましたが、それに驕ることなく、謙虚に活動を続けました。

パキスタンとアフガニスタンが地理的にどのあたりかと言いますと、だいたいインドとイランの間ぐらいです。

アフガニスタンとパキスタンの位置がわかるための

※パキスタンとアフガニスタンの位置関係をご説明するために自身で手書きしました。そのためおおまかな地図なのでご了承ください。

その当時、日本から行かれる方が少ない中、命の危険も顧みず勇気ある行動をされた中村哲医師。

なぜそこまで、海外の人のために尽くされたのでしょうか・・・

中村鑑三の「後世への最大遺物」に出会う

1冊の本との出会い

中学時代に、中村哲医師は「後世への最大遺物」(中村鑑三著)という本に出会います。

この本の一部を抜粋しますね。

『「ほかの人の行きたがらないところへ行け ほかの人が嫌がることをなせ」といった人がいますが、これが世界を動かす力になるのです』

「金もない事業を起こすこともできない、本を書くこともできない、そんなわたしたちが世の中に残していけるものは何もないのでしょうか?

いいえ、人間が後世に残すことができる そうして誰にも残すことができる最大の遺物があります。

それは、勇ましい高尚なる生涯です」

「多くの困難があっても それに負けず この世は希望の世だと信じてそれを実行した生き方をする その生涯が世界への贈り物になるのです

data source:「後世への最大遺物」

上記の内村鑑三氏の言葉が、中村哲医師の心を強く揺さぶりました。

内村鑑三氏とはどんな方?

内村鑑三さんは、明治から大正時代にかけて活躍した日本のキリスト教思想家で、無教会主義を唱えた方です。無教会主義とは、教会や教派に属さずに、聖書に基づいて信仰をすることを意味します。内村さんは、札幌農学校(現在の北海道大学)でクラーク博士の影響を受けてキリスト教に目覚め、アメリカに留学して学びました。帰国後は、教育勅語に対する不敬事件や足尾鉱山鉱毒事件、日露戦争への反対など、社会問題にも積極的に関わりました。

内村鑑三さんの画像

(内村鑑三氏ー出典元:Wikipedia)

内村鑑三の言葉通り有言実行された中村哲医師の人生はまさしく「勇ましい高尚なる生涯」そのものですね。

精神科医をされていた中村先生は、患者さんから質問されます。

「人は何のために生きるのでしょうか?」

「人はだれか別な人との関係においてのみ存在するのではないでしょうか・・・」

「自分というものだけを見ていると 何も見えなくなるような気がします」(中村医師)

この会話から、中村先生は自分のために生きるのではなくて、人にために生きるんだという信念を感じられます。

余談ですが、もし「何のために生きているのか」と尋ねられたら、私は”自分と自分と縁する大切な人が幸せになるため”と答えると思います。

自分だけが幸福になるのはいやです。自分がこうして生きているのは、私と縁してくれた多くの方々のおかげなので、周りの大切な人がいつも笑顔で生活できることを願います。

今年、私は母を亡くしました。いつも陰日向私を励ましてくれた母でした。自分のことより、人の心配をしてしているような母でした。「そんなに心配してくれなくても大丈夫なのに・・・」と思ったこともたくさんありました。

でも今思えば、周りの大切な人の幸せをいつも願っていたからこそ、家族や周りの人のことが気に

なってたのでしょうね。

自分のことを思ってくれる人がいるって、本当にありがたいことです。失ってから気づくのは遅いので、生きているうちにたくさん感謝の言葉を伝えていきたいです。

中村医師が大切にした一隅を照らす人間のあり方とは?

中村医師が愛した「一隅を照らす」という言葉があります。

それは、「自分が今いる場所で、自分にできることを誠実に行動することで、周囲に良い影響を与えること」という意味です。中村医師は、その言葉通りに生きていました。彼は、誰も行きたがらない場所に行き、誰もしたがらないことをしました。彼は、困っている人たちに寄り添い、力になろうとしました。彼は、自分の信念を貫き、自分の使命を果たそうとしました。

中村医師の一隅を照らす人間のあり方とは、

生活の中に置き換えると

次のようなものかなと思いました。

いくつか挙げてみますね。

・自分の置かれた環境や生活に感謝し、不平不満を言わずに前向きに生きること

・自分の得意なことや好きなことを見つけて、それを活かして社会に貢献すること

・自分の夢や目標を持って、それに向かって努力し続けること

・自分だけでなく、周りの人たちの幸せや平和も願って行動すること

・自分の意見や考えをしっかり持って、それを正直に伝えること

・他人の意見や考えも尊重して、対話や協力を大切にすること

・困難や危険に直面しても、勇気や忍耐を持って立ち向かうこと

・誤りや失敗を恐れずに、自分の責任を果たすこと

いい行動だとわかっていても、全てを実践するのはとても難しいことですよね。

この中のいくつかでも行動できたらいいなと思います。

中村哲医師の生き方から学んだこと

中村医師が大切にされた、

「一隅を照らす人間のあり方」の中で

自分の置かれた環境や生活に感謝し、不平不満を言わずに前向きに生きること

ということを、

自分の生活でも活かしていきたいと思います。

生活をしていると「もう少しこうだったら」とか

「あの時こうだったら良かったのに」と

思ったりすることがあります。

でもそれだと自分の心はいつも後ろや過去に

向いているような気がします。

苦い経験や辛かった経験を含めて

今の自分があるんだなあって思うようにしています。

だから、今の環境や生活に感謝しながら

心は前を向いていきたいですね。

自分の生活を大切にしている女性のイメージ図

中村哲医師の映像

中村先生の実際の活動の様子が、「荒野に希望の灯をともす」というDVDに残されています。またYouTubeでも見れますので、ご興味のある方は見てくださいね。

映画館で自主上映会もされているそうです。

上映会の情報はこちら↓

まとめ

中村哲医師は、「一隅を照らす」という言葉を実践されて尊い人生を歩まれた素晴らしい人でした。

彼は私たちに多くのことを教えてくれたと思います。私たちは彼の遺志を受け継ぎ、自分なりの一歩を踏み出してい毛たらと感じます。私たち一人一人が一隅を照らせば、世界はもっと明るくなるかもしれませんね。

中村医師のご冥福を心からお祈りします。

最後までお読みくださりありがとうございました!

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